スイミー
スイミー
スイミー
スイミー
スイミー

私に似たあなたへ 2013/12/30

神奈川県在住 きしべ ちさこ

「私のお母さん、お父さんはな○こちゃんばかりかわいがります。

そして、おじいちゃん、おばあちゃんもな○こちゃんばかりかわいがります。

私はできるかぎりお母さんの手つだいをしようとしてます。だってみんながよく、“いい事をするときっと自分にもいい事がある。”と言ってるからです。だからいい事をしてるのにぜんぜんいい事がおこりません。私はな○こちゃんがかわいがられているのをみてると世界人が全員きらいになるのです。私はいもうとがとてもにくいんです。」

 

これは、私が小学3年生頃に書いた日記の一部です。

日記を残している私もすごいですね。

この心のはけ口のような日記は、だいぶ当時の私を助けてくれました。

 

父が銀行員の為引越しが多く、転校先で友達が出来なかった私はたった1人の妹と遊ぶ比重が高く、濃密な関係でした。

知的障がいを持つ2つ下の妹の障がいは軽く、当時の私は妹と一緒にいる事が多かった為か、私が無知だった為か、妹の障がいに気づく事なく一緒に遊んでいました。

でも、気づかなかったはずです。

両親は一切、妹の病気や障がいの事を私に話した事はなかったのですから。

 

私がその事を知ったのは、私が高校2年の3学期、妹が中学から高校へ上がる時でした。

夜、ボソボソと両親が話す声が聞こえてきて、私は立ち聞きしていました。

「佐野養護学校は遠いなぁ。」

私は養護学校に行く子が誰なのか分かりませんでした。

お恥ずかしい話、本当に妹の障がいに気づいていなかったのです。

“誰の話だろう・・・。”

思い切って聞くと、やっと妹の事だと教えてくれました。

 

その時、私が矢継ぎ早に「いつそうなったん?」「なんで私に教えてくれへんかったん?」と質問ばかりしていた時、必死に答えているのは父で、母は何も言いませんでした。

無口になった母に気遣うように、父も詳しくは話さず、あいまいに濁すのです。

ショックを受け、真剣に聞いている私は説明が無い事に腹を立て、そこから両親との亀裂が始まりました。

 

高校3年の私の生活はひどいものです。

“大事な事なのに、なんで私にちゃんと説明してくれないの?”との思いが大きかったように思います。それと同時に、家族が妹を中心に回っていた今までの謎が一気に解けたような気がしたのです。今まで不思議だった事や腑に落ちなかった事が、“あー、そういう事か。”と。

 

でも、まだ高校3年の私は、大きく捕らえる事はできませんでした。

両親への不信感と、私だけが家族からハブにされたような寂しさ、
頼りにされていないような、ほっとかれているような、
孤独感というのでしょうか。

 

大事な受験の時期に、私はなんだか全部どうでもよくなって、そして、とても冷めてしまったのです。

 

大学受験に失敗し、なんとか地方の短大には受かりました。

クラスで1番遅い進路決定でした。

 

それから、学生時代や就職してから好きな人ができても、

“この人は将来妹と一緒に住んでくれる人だろうか。”が基準になりました。

 

意味もなく、妹の話をして探りを入れたり、遊びに無理に妹を連れて行き、彼の反応を見たりしていました。

とても自然な状態ではなく無理をしていたように思います。

 

22歳位の時、母に

「彼は奈っちゃんと一緒に遊んでくれたよ。」と彼の事を報告したり相談しても、母は妹の話になると無視するのです。あまりに無視されるので、「お母さん、なんで奈っちゃんの話になったら話そらすの?」と抗議した事があります。

その時の母の言葉、

「あんたにお母さんの気持ちは分からへん。」

この一言で、また母は黙ってしまったのです。

 

妹は生後5ヶ月で何らかの病気をして、2週間、熱が上がったり下がったりし続けたそうです。大きい病院へ行った時は手遅れで、「命だけは助けてくれ。」と両親で病院へ泊り込んで看病し、なんとか助かったものの、障がいが残ったそうです。この話はだいぶ後に親戚から聞いた話です。

もっと早く大きい病院へ連れて行っていれば。

解熱剤で熱を下げて、2週間も様子を見ていた事が、後悔しても後悔してももう遅い。

母は今も自分を責めているのでしょう。

 

でも、

「あんたにお母さんの気持ちは分からへん。」

この一言で、私と母との溝は決定的になってしまいました。

分かる訳がないのです。

子供も生んでない私に、同じ思いが分かるはずもないのです。

 

でも、今私が付き合っている彼の事や将来の事を相談している時に、このようなはね付けた言葉で受け入れてもらえなかったら、もう何も私には言う言葉は無い。

 

今思えば、1番苦しい時期でした。

私は少しノイローゼのような状態になり、悪夢に毎日うなされるようになりました。

夜中に大声を上げて、両親が飛んでくる事もありました。

 

そして、この苦しい実家を出たのです。

東京で1人暮らしを始めました。

 

両親と離れて、距離を取る事で、だいぶ楽になりました。

客観的に母や妹と接せられるようになりました。

私も大人になって行きます。

あのようにしか言えなかった母を思うようになりました。

 

母と心を通わせたくて、必死にしがみついていたけれど、母も受け入れたくても受け入れられない、それは、まだ自分が生んだ我子の障がいを受け入れられていなかったのだと分かりました。

 

その証拠に、母が妹の障がい手帳を取ったのは、だいぶ後の事です。

 

妹は何もないような顔で存在しています。

彼女は彼女でとても大変は試練を乗り越えていますが、

でも、ただそこに黙々と存在しているだけで、姉の私は色々な事を学ぶはめになりました。

お蔭様で、障がいを持った方が家族にいない方にはわからない様々な思いをさせてもらいました。

そして、人間というのは、見えないけれどその裏には様々な出来事や試練や苦労があるものだと知りました。

妹の存在のお陰で、私は人の気持ちや痛みが少しは見える人になったかな、と思っています。

微力ですが、少しは何か人の心を考える事ができる人間にさせてもらったかな、成長させてもらったな、と思うのです。

 

それは、家族が苦しんだ分、私の中で勝手に育った宝物です。

私は何の努力もせずそんな宝物を得たのですから、妹や両親に感謝だと思えます。

だって、お金では買えない経験から得た宝物ですから、
それも、経験したくてしたものではありませんから。

私の運命の宝物です。

 

それを生かすも殺すも私の生き方次第でしょう。

 

妹は昔と変わらず、ドン!と大きく私の中に存在しています。

そして、今も痛みを抱えたままの母は、子供を2人生み母になった私をいつも心配して暖かく見守っていてくれます。

 

私と同じ思い、近い思いをした方がいらっしゃったら、

とてもお話がしたいです。

今までの事、これからの事。

 

私達が、人の気持ちが分かる優しい人間のかけらをもらった事に一緒に感謝して分かち合えたら、とても嬉しいと思います。

 

妹さんについて:知的障がい
お仕事:一般企業に就職の後にリストラ、その後は保育園のお掃除のお仕事を9年間もされているそうです。

 

妹さんからのお手紙1

【妹さんからのお手紙】

 

妹さんからのお手紙2

【妹さんのイラスト。これらの絵から柄をとって、障がいを持った方の絵画をプリントすることをコンセプトとした、グランドルーが誕生したそうです】

ページの先頭へ

大倉山スイミー

ラベンダー 浄化

ゼラニウム 真実の友情

ネロリ 陶酔・愛への誘い

ローズマリー 思い出・記憶

ミント 美徳・効能

カモミール 逆境に耐える